明日から始めよう

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朝井リョウの何者と痛々しさの根源

朝井リョウの「何者」を読んだ。

冒頭から「主人公拗らせちゃってんなぁ」と思い

この小説大丈夫かな?と正直感じた。

 

というのも人には「認知の歪み」がある。

「歪み」と聞くとネガティブなイメージだから分かりやすく「価値観」とも表現出来る。

このそれぞれの「価値観」を競わせることで争いが生まれるというのが個人的な持論なんだけども。

そして小説に限らず全ての創作物は「作者の価値観」の塊だと思っている。

 

例えばこの価値観が「読者」から「歪んでいる」と表された時、

そこで「読者VS作者」の幕が開かれる。

 

つまり冒頭の「この小説大丈夫かな?」は「読者VS作者」に発展するんじゃないだろうかという不安だった。

 

観察者の主人公が意識高い系の学生を心の中で見下して見ていて

気の置けない友達と「価値観」を共有する序盤から中盤の展開。

 

だけど中盤から風向きが変わり始める。

 

結論から言うと主人公=観察者は内定が取れず、意識高い系も内定が取れなかった。

そして「観察者VS意識高い系」のバトルが幕を開ける。

 

何故か。

そう何故か。

バトルは意識高い系が勝った(ように見える)のがちょっと面白いところ。

 

けど意識高い系の攻撃によって主人公は「何者にもなれていない自分」を自覚してほんの少し成長する。

そんな物語だった。

 

この物語についての感想を述べる前に一つのブログを紹介しておこう。

 

ichinei.hateblo.jp

素直で率直なブログ。

他の人とは違う特別な人間だと自分が思いたい人間はどこにでもいる。

 

そしてブログの筆者のように「自分が特別でないことに絶望」してしまうのだ。

 

ここの問題点は「比較」にある。

自分と相手を比較し自分の方が勝っていたら「特別」という評価方法だ。

 

この評価方法を採用するならば、特別なのは「世界で一番」にならなければならない。

それは無理な話だろう。

 

「特別」でありたいなら自分が思う「特別」を自分に与えてあげればいい。

 

なんでか自分はこれが好きなんだよな。

なんでか自分はこれが得意なんだよな。

なんでか自分は特別なんだよな。

 

誰かに「痛々しい」と表された時、軸を相手に受け渡さなくていい。

軸を自分に置いて自分を「痛々しい」と攻撃しなくていい。

 

自分は「痛々しい」から特別なんだよな。

と思えるならこの限りではないけれど。

 

朝井リョウの「何者」を読んで思ったことは概ねこんな感じだ。

この文章は「痛々しい」だろうか。

僕は「観察者」だろうか、「意識高い系」だろうか。

僕はどれでもいいと思っている。