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明日から始めよう

管理人ユウが思ったこと、感じたこと、考えたこと                                    Twitter:I_am_You4321 https://twitter.com/I_am_You4321

【雑記】誰よりも頑張る自分がいたことを自覚すること

ここの所、毎日が楽しくて、毎日が新鮮で、毎日が寂しくて、毎日がこうならいいのに、と思うようになった。

 

そして気が付いたこと、自覚したことがある。

今までの自分のこと。

今までの自分は誰よりも努力をして、誰よりも頑張っていた。

それが形にならないことだとしても、誰かのことを考えて、自分を犠牲にして誰かのために動こうとしていた。

 

だから毎日が辛かった、きつかった、休みたかった。

一日でも誰かのことを考えなかった日があっただろうか。

振り返ってみても、思い当たらないくらい、毎日毎日考え抜いていた。

「どうして自分はこんなに誰かのことを考えているのに、自分のことは同じように誰も考えてくれないんだろう」そう思っていた。

 

でも、それは誰も報われない孤独な努力だったから当然だった。

頑張っても誰も救われない代わりに、誰に頼らなくても生きていける堅牢な世界を作り上げた、自分のための頑張りだった。

 

ほんの少しだけ、大人になって、社会に交わるようになって分かった。

「そうか、みんな手を抜いて生きていたんだ」と。

嫌なことは避けて、無駄な努力をせず、自分の得意なことや、好きな人とだけ関わって、好きなことに力を注いで、自分を作り、社会と交わる。

 

そのことが分かって「なんだ、やっぱり自分が一番頑張ってきたんじゃないか」と

とても安心した。

 

だから、自分と同じ思考の人が見つからなかったんだ。

自分を犠牲にして誰かのことを思って、嫌なことにも良い顔を作って努力をする人なんて、そうはいないものなんだ、と。

 

雑談を交わす中でも、相手の思考を考察したり、探りを入れたりする人なんて、自分以外早々いないんだ、と。

 

孤独な自分は、自分と同じ思考を探すために、空想に縋った。

空想に出てくる人物は「自分よりも遥かに優秀で、打算的で、成功者」だった。

だから安心したのだ、自分と同じ思考の人間が空想にいることで、満足していた。

 

「常に全力を尽くすことは当然のことだろう?」

胸の奥で常に聞こえる完璧主義に呪われた「自分」の平然とした声。

 

「誰かの為に全力を出す、それはとても素晴らしくて間違っていないことだと思うよ」博愛主義の「僕」の声。

 

「全力を出すことが間違いだとは思わない、けれど全力を出すべきタイミングは図るべきだ」冷静な「ユウ」の声。

 

「そうはいっても、人間だ。全力を常に出せる訳じゃない、手を抜くことを覚えないと、いつか倒れて、くたばって、誰にも感謝されずに、使い捨てられて終わるだけさ」誰よりも感情豊かな「ボク」の声。

 

そして、現れた第三者の「5人目」Nさんの声

「僕は仕事とプライベートは完全に分けてます」

仕事では色々な自分を使い分けているけど、

自分の子供の前で「今日は冷たいお父さんだ」なんておかしいじゃないですか。

仕事では必要なら喋るけど、家では全然喋らなかったりします。

 

ボクは、自分と同じ思考の人物に言われたことに動揺していた。

それは「ユウ」が実践していた自分だった。

 

誰にも深く関わらず、自分の意志がなく、その場に応じた自分の顔を作る。

社会に適応するために作った顔だった。

 

自分と同じ思考の人に出会って、驚いて、嬉しかったけれど、

本音を言えば羨ましかった。

 

「Nさんはもう、見つけたんですね」

いつかこの言葉を口にしてみたいと思うし、絶対に口に出したくないとも思う。

 

何故自分が今まで頑張ってきたのか、何故自分が努力を続けてきたのか。

報われると信じていたからじゃない、誰の為でもない、自分のための孤独な努力を何故することが出来たのか。

 

「自分と同じ人間がこの世界のどこかにいる」と信じていたからだ。

もっと言えば「自分よりも凄い人間がこの世界にいる」と信じるしかなかったからだ。

「自分が一番凄い」そんな世界に生きるなんて、孤独以外の何物でもないから。

 

その願いは叶った。

だけど、Nさんは一足先に「答え」を見つけたらしい。

「何故自分は生きているのか、誰の為に生きるのか」

 

きっとNさんは「家族のため」と答えるに違いないだろう。

そう答えて欲しい自分もいる。

 

でも「やっぱり僕は一人だな」と寂しく思う自分がいる。

Nさんは「家族」を思う気持ちと別に自分を見てくれるだろうか?

「家族」とは別枠の「友達」でもない。

敢えて言うなら「同じ仲間」だと自分を認めてくれるだろうか。

 

「自分からは行かないけれど、来る人は受け入れますよ」

そんなNさんの声が何度も聞こえてくる。

そしてその声は、いつも自分が「誰か」に告げる言葉だった。

 

僕はNさんに「自分から来て欲しい」

だからNさんにお昼の誘いをされた時、涙が出るほど嬉しかった。

それはNさんがいう「自分から行く」ことに値しないことだと分かっていても、嬉しかった。

 

誰よりも頑張る自分は「並走してくれる誰か」「頑張っていることを認めてくれる誰か」をいつも求めていた。

 

かつて「並走してくれた」友人は今、家庭を持ち「走ることを止めた」

そのことは残念だけれど、それでも自分のただ一人の「親友」だ。

 

今の自分は「それでも走り続けるか」悩んでいる。

孤独な、「頑張りを続けていくか」決め兼ねている。

 

正直言って、Nさん次第だ。

Nさんが「自分と並走してくれる」ならどこまでも「走り続けられる」

Nさんが「頑張りを認めてくれるなら」ならどこまでも「頑張れる」

 

孤独では走り続けられない、過去の自分が体験したこと。

誰かの応援なしでは頑張れない、過去の自分が証明したこと。

 

走らない、頑張らない、たった二つの盟約を遵守すれば、人は一人でも生きていける。

自分も一度「走ること」「頑張ること」を辞めたから、分かる。

その生き方がとても楽で、とても悲しいことが。

 

また「走り出した」自分。

また「頑張り始めた」自分。

 

誰かの為ではなく、自分の為に。

それは結局Nさんの為だったり、会社の人達の為だったりするけれど。

変わった今なら「誰かの為に自分を犠牲にしている」とは思わない。

「誰よりも頑張っているのは、自分の為だ」とはっきり言える。

 

「走ることが楽しければ、並走してくれる人がいなくても」

「頑張りを認めて貰えなくても、自分が認めてあげることが出来れば」

そう考え方を変えていこう。

誰の為ではなく、自分の為に。

 

その行く先で誰かに助けて貰ったり、認めて貰えたら。

感謝しよう、そして精一杯自分の気持ちを伝えよう。

そう心に誓った。