明日から始めよう

管理人ユウが思ったこと、感じたこと、考えたこと                                    Twitter:I_am_You4321 https://twitter.com/I_am_You4321

【映画】僕は、過去を蘇らせるのではなく、未来に期待するだけではなく、現在を響かせなければならない

小説が先だったか、映画が先だったのか覚えてないけれど

冷静と情熱のあいだ」がずっと心に引っかかっていたことは覚えている。

 

何故、心に残ったのか。

何故、時間を経て今見たのか。

 

その理由が今良く分かる。

 

僕には恋人がいる。

僕には好きな人がいる。

 

この2つの反する事実は常に僕を試している。

僕は、何をしたいんだろう?

僕は、どうしたらいいんだろう?と。

 

僕は3月に30歳になる。

30歳の誕生日にフィレンツェのドゥオモに行こう。

 

それが初めての海外旅行に相応しい、そんな気がした。

【雑記】自分の心に正直に生きる、という希望への幻想

ネットを見ていると良く、自分の心に正直に生きる。

やりたいことだけやる、といった言葉を目にする。

 

やりたいことが出来ていない人、正直に生きていない人は、

その言葉に憧れたり、自分も真似出来ないかと考える。

 

そんな人に向けて言葉を投げる。

「何かやりたいこと、好きなことはないの?」

 

すると、大抵「特にやりたいことも好きなこともないんです」という言葉が返ってくる。

何故、そんな嘘を付くのだろう?

 

やりたいことは、今口にしている。

「自分の心に正直に生きたい」と。

 

好きなことを聞くと「しいて言えば・・・」といった言葉が返ってくる。

 

やりたいこと、好きなこと無くして人は生きていない。

やりたいこと、好きなこと無くして人は希望しない。

 

結局の所、こういう人は自分に自信がないのだ。

自分の選択に自信が持てない。

 

誰かが価値を見出した物を好きにならないと、こういった人は救われない。

 

僕はクラシック、ジャズ、ピアノが好きだ。

そう言うとお世辞にも「芸術が好きなんですね」といった感心する言葉を貰う。

 

僕はゲーム、エロゲが好きだし、同人誌も好きだ。

双方の価値は自分にとって同質だが、他人にとっては違う。

 

「自分の心に正直に生きている」人は結局自分の選択に自信を持っていて、

「やりたくないことはやらない」人は仕事が嫌いじゃないだけだ。

 

「自分の心に正直に生きる」のは簡単、「やりたくないことはやらない」のは簡単。

そうすればいいだけだ。

その結果起こるリスクを避けるから、しない。

それこそが最善だとその人が判断しているなら。

それは「自分の心に正直に生きている」ということだろう。

【映画】僕が「君の名は」より「打ち上げ花火、下から見るか 横から見るか」を好きな理由

少し前になるけど、「打ち上げ花火、下から見るか 横から見るか」を見た。

 

端的に言うと「打ち上げ花火」は客観的には面白くない映画だと思う。

けれど、僕はこの映画が好きだった。

心に残る映画としてこの先、何かの拍子で思い出すことが度々あるだろう。

 

その理由は何なのだろう?

自分で考えたり、誰かの声を聞いて分かったことがある。

 

その理由を話す前に「君の名は」を見た時に思ったこと。

それは、「大衆向けの映画だな」という感想だった。

 

「君の名は」は面白い映画だ。

笑いがあったり、ポップだったり、切なかったり、深かったりする。

「君の名は」は完成された映画である。

 

だからこそ、僕は余り好きではなかった。

 

何故、完成された「君の名は」より未完成の面白くない「打ち上げ花火」が好きなのか?

 

僕は「余白」があるものが好きだ。

「何故そうしたのか」「何故こうなのか」と考えることが好きで

ここはこうしたんですよ!と言われても「ふーん、そうなんだ」以外の感想はない。

 

だからといって所謂考察が好きな訳でもない。

「ここはこうだろう」と思うだけだ。

そこに作者の真の狙いや、物語全体の整合性は必要ない。

 

僕は、僕の思い描く面白い話が好きなだけで、

誰かが提示した面白い物語は、

僕に100%合わなければ手放しで絶賛することはない。

 

だから僕は「打ち上げ花火、下から見るか 横から見るか」が好きだった。

この映画には地の文が、説明が、一切ない。

 

あの球はなんだったのか。

あの発言の意図はなんだったのか。

あの結末はなんだったのか。

一切ない。

「もしも、こうだったら」があるだけだ。

 

だから楽しい、だから心に残る。

 

「もしも」僕が「打ち上げ花火、下から見るか 横から見るか」を見なかったら、

僕はこの記事を書かなかった。

 

運命を変えるコツは「もしも」を考えることだ。

与えられた物を食べて「美味しい」「不味い」と言うだけなら誰でも出来る。

 

映画を見た後に、面白くないと感じた時

「何故あなたは面白くない映画を見たのか?」と考えたことがあるだろうか。

その理由はあなたにしか分からないのだ。

【FFXI】15年前の未熟な僕に捧げる言葉

15年前の昨日、つまり5月16日。

後の僕の運命を変えるゲームであるFFXIが発売された。

 

発売前から心を掴んで離さなかった。

そのことは疎遠になっていた今の親友との仲を繋ぐ切っ掛けにもなっていた。

 

僕は発売日にFFXIを始めることは出来なかった。

15年前の僕に立ち塞がった「インターネット環境」

今では当然にあるものは当時は一般的とは言いがたく、高いハードルになっていた。

 

親友が先に始めた。

羨んで見つめる僕。

 

今思えば、初めてかもしれない。

あれほど僕が物事に執着していたのは。

 

遅れて僕はFFXIを始めた。

今なら分かるんだけど、

その時僕の「窓」は大きく開かれた。

あるいはそれを「箱」と言い換えてもいい。

 

「家」「学校」といった小さな箱から自分は飛び出していた。

「ネット」の海に漕ぎ出した僕は幸せだった。

 

そこには「差別」が無かった。

「区別」も無かった。

プレイヤーが何者で、何歳で、性別が何であるかは問わない。

昔の僕にはそこは「自由な世界」の象徴だった。

 

未熟な僕は「自由な世界」を謳歌した。

そして気付いたのだ。

 

「自由な世界」が「現実」であることを。

僕は孤独感を覚えた。

 

ここなら自由になれる、そう信じて止まなかった僕の幻想は打ち砕かれたのだ。

それでも僕は執着した。

手放した瞬間に全てがバラバラになって、意味の無い物に、ガラクタになってしまうことを恐れて。

 

僕は大学生になった。

僕は一人暮らしを始めた。

 

まだ僕はFFXIをやっていた。

朝から夜に、そして朝までやっていた。

 

ある時に気付く「ネットゲーム」もまた小さな箱に過ぎなかったのだと。

僕はFFXIに別れを告げた。

 

そして今15年前の昨日を振り返って思うことがある。

 

間違いなく、僕はFFXIに人生を変えられた。

そのことは僕にとって負い目であり、暗い影だった。

そのことは僕にとって自信であり、欠かせないピースだった。

 

15年前の未熟な僕に捧げる言葉がある。

「君は何も間違っていない」

 

【時節】黄金の別離

バンジージャンプをするにあたって、親友とお互いの心の内を話した。

 

「死ぬことは怖くない」

僕は親友に告げた。

結果が分かっている出来事を僕はもう恐れない。

 

「誰かが傷付くのが怖い、誰かを傷付けるのが怖い」

僕は続ける。

「自分は本当は一人が好きなのか、人が好きなのか、分からない」

 

親友はこう返す。

「多分どっちもだよ」

 

一人が好きだから孤独を選んで、人が好きだから傷付けたくない。

 

それは親友が人嫌いなのに、人との交流を絶たないことと似ている。

絶てば見捨てられるから常に繋いでおかないと、不安なのだ。

 

親友は昔から親切で、明るくて、器用で、経済的にも恵まれていて、今は綺麗な奥さんと子供もいる。

凡そ「幸せ」と呼べる物を全て持っている。

それでも、不安に苛まれていた過去、臆病な自分を持っている。

 

僕はどうだろう?

昔から僕はどうだったのだろう。

もう考えても仕方の無い、過ぎ去ってしまった時間。

 

「死ぬことは怖くない」

もう一度口にする。

 

恐怖は、自分が作り出した幻想。

だから飛ぶのは怖くなかった。

全て幻想だと分かっていたから。

 

それでも死を身近に感じる恐怖はあった。

それが何よりの収穫だった。

 

誘ってくれてありがとう。

心の底から、感謝している。

 

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【雑記】完璧を演じること

金曜に同僚を飲みに誘った。

 

良く「人は完璧じゃない」だとかいう話を聞く。

僕は会社に入ってすぐは問題児だったけど。

少しずつ「社会」というものを学んでいったら。

 

どの上司にも「完璧です」「何も言うことはない」と言われるようになった。

 

おかしいな、完璧な人間なんていないはずなのに。

完璧な人間がいないのなら、「完璧」だと言われている自分は存在していない。

 

「完璧な自分」が虚構に過ぎないことを自分は知っている。

 

今尚心を掴んで離さない人にこう言われた。

「人は万能じゃないですよ」

 

完璧な人間も万能な人間も存在しないなら。

完璧、万能な人間は人ではない。

 

昨日も、言われた。

「○○さんは僕からは完璧に見えます」

僕の返答は。

「完璧を演じているからね」

続けて

「完璧じゃないから、完璧を演じるしかないだけ」と。

 

同僚はこう返した。

「演じようと思って演じれる物じゃないですよ」

 

もし、自分が今中学生だったら。

「きっと自分は特別な存在なんだ」と調子に乗って。

手痛い目にあって、経験を積んで、年齢を重ねていけるのに。

 

もう、自分は29だ。

老いてはいない、まだ若いとも言える。

 

それでも今更、「自分は特別だ」と胸を張るのは難しい。

 

慢心と自信の違いは何だろう。

今でも答えを探し続けている。

 

【仕事】ちょっとは楽しくなってきたみたいだ

「何かを変えるには、自分が動くしかない」

かつての自分はそんな思いを持って、一歩踏み出す覚悟をした。

 

踏み出すと、確かに世界は変わった。

それが自分の行動と無関係であっても。

 

閉鎖的で退屈だった会社を変えたいと願った自分の心。

変わっていく会社の舵を取れない悔しさ。

周りが楽しそうにしていることに混ざれないもどかしさ。

肥大していく自意識と、人間らしく生きることの難しさ。

人を信頼し、愛することの厳しさ。

 

世界の在り方を決めるのが自分の心ならば。

自分の心が変われば世界も、会社も変わることが必然だった。

 

退屈だと思っていた世界が色付いて徐々に輪郭を帯びつつある。

僕はそれを見届けてもいいし、色を塗ることに自ら参加してもいい。

 

「ちょっとは楽しくなってきたみたいだ」

誰かが嬉しそうな声でそう言った。