明日から始めよう

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社長と昇進面談

前に話したような気がするけど、僕は社会人経験が薄い。

なんせ8年引き篭もったあとの初めての仕事場だ。

 

アルバイトすらやったことない、コミュニケーションを取る気すら皆無だった僕。

今思えば当然、昔は理解不能な「世の中そんなに甘くない」発言。

 

引き篭もる前から「本当にそうかな?」と疑問だった。

と同時に「僕はきっと大丈夫だ」と確固たる自我があった。

 

それは僕が長年鍛え続けてきた心の刀だ。

普段は鞘に入れて隠しているけど、最近は振るうことに躊躇いが無くなった。

鍛えた刀は容易く現実を断ち切る。

 

とまぁいつものように見る人が見れば心が底冷えするようなポエムになったけれども。

本題、僕は初めて昇進の為の話をした。

初めて話す接点の無かった社長と。

 

推薦してくれた上司の話だと昇進出来るかは「50%ぐらい」とのことだった。

けれど社長はこういった。

「最初に言っておけば僕の判断で落ちることはない、現場の人が推薦しているんだから現場にいない僕が判断することはまずない」と。

そして「リラックスしてもいい」と続けた。

 

僕は安堵すると同時に昇進が無くなることはまずない、と面談する前に感じていたことを思い出す。

 

社長の話を僕が相槌を入れながら聞くこと30分ほど。

「30分ぐらい話しをして分かった、〇〇さんは理解力が高いね」と称された。

僕は軽く驚いて「ありがとうございます」と受け取った。

「どんな人なんですか?」と聞いた時に「頭の良いおじさんだよ、悔しいけど」と上司が言っていたことを思い出しながら。

 

社長は面白い人だった。

一言で良く言えば好々爺、悪く言えばタヌキ親父といったところだろう。

 

僕は概ねを理解している。

上手くいく。

上手くいかない。

楽しい。

楽しくない。

 

僕は概ねを理解していたけれども。

自信がなかった。

誰かに「頭良いね」と褒められてもお世辞だとしか思わなかった。

 

でも今の僕は少しずつ言えるようになってきた。

少しずつ受け取られるようになってきた。

 

「僕って頭良いんだよ」

 

子供の頃にそう得意顔で言いたかった自分を見つめながら。

 

徹夜と平沢進

Twitterを見ていて平沢進の曲のことが書いてあり

平沢進ってどこかで聞いたことあったなぁ・・・なんだろうと気になった。

経験上、気になることには必ず意味がある。

だから僕は挙がった曲を聞いてみた。

 

www.youtube.com

曲を聞いて「ああ、やっぱり聞いたような覚えがある」と確信した。

調べてみると、夢の島思念公園の曲を書いたのが平沢進だった。

 

www.youtube.com

 

なるほどね。

世界はこんな風に網の目のように繋がっていることを僕は分かっているけど

ある人にとってはこれは只の偶然で片付けられる現象になる。

 

直感に沿って動いていくと何事にも流れがあることが分かる。

それは自分以外が世界を作っているイメージだ。

正確に言うと、それも自分がイメージして作った世界なんだけど。

 

 

話は変わって、僕は今仕事をしないといけない状況で

それは明日の朝までに仕上げないといけない。

まぁ仕上げないといけない。のも只のイメージなんだけど。

 

ともかく、僕は徹夜をしないといけない。

さてはて仕事で徹夜と聞くと、あなたはどういうイメージを持ちますか?

それはあなたの観念です。

正確に言うとあなたがイメージさせられた観念。

外部から受けてあなたが選択したイメージ。

あなたはその観念/イメージ通りの現実を体験します。

 

僕はヨーシ今日は徹夜しちゃうぞ☆という気持ちを選択しました。

ただそれだけの話です。

 

 

 

自分は自ら分かれた存在

 「自分とは自ら分かれた存在」

このフレーズを目にした時、自分の正体を知れた気がした。

 

自分とは何か?の問いに明確に答えられる人はどれだけいるだろうか。

何故自分と呼ぶのだろうか、と問われればこれからは答えを用意出来る。

 

自分は自ら分かれた存在

この言葉をどう捉えるかで自分のイメージが分かる。

 

物質世界と精神世界にどちらも存在する自分。

あるいは魂を分けたツインソウルをイメージする人もいるかもしれない。

 

精神分裂症という病気がある。

あれは精神が分裂する病気ではなく、分かれている自分を正常に認識した人間の姿かもしれない。

本来分かれていて現実に根を下ろし生活をしているのに

精神世界の自分との区別が付かなくなり発狂する。

 

そんなことをぼんやりと書きながら考えている。

聲の形~lit~

聲の形見ました。

暗そうなイメージで中々見る気がしてなかったこの映画。

 

感想は「見て良かった」というシンプルな物。

聴覚障害者を取り巻くイジメとイジメに関係する物語と聞くと、大抵の人が見たい!と思う題材ではないと思う。

 

そしてこの映画はスッキリする映画かといえばそうでもない。

主人公はイジメを行った罪を悔いて行動をするが、

周りの人間は悔いたり悔やまなかったり、個を貫き通す。

 

明確に誰が悪いと言える単純な構造ではなく、こいつ最悪、な感想がいくらでも出てくる。

ある意味現実的で、ある意味非現実的な映画。

 

上手くいかない現実とどう折り合いを付けるか、

もしくは最悪の過去を乗り越えて希望の未来に繋ぐ映画と見ることも出来る。

 

僕はこの映画を絶賛もしないし、批評もしない。

聲の形は「見て良かった」映画だった。

 

最後の最後で主人公が涙を流すシーン、

あのシーンを僕も現実に体験している。

涙が止まらない気持ちの共感、共有。

 

あぁ見て良かった!

朝井リョウの何者と痛々しさの根源

朝井リョウの「何者」を読んだ。

冒頭から「主人公拗らせちゃってんなぁ」と思い

この小説大丈夫かな?と正直感じた。

 

というのも人には「認知の歪み」がある。

「歪み」と聞くとネガティブなイメージだから分かりやすく「価値観」とも表現出来る。

このそれぞれの「価値観」を競わせることで争いが生まれるというのが個人的な持論なんだけども。

そして小説に限らず全ての創作物は「作者の価値観」の塊だと思っている。

 

例えばこの価値観が「読者」から「歪んでいる」と表された時、

そこで「読者VS作者」の幕が開かれる。

 

つまり冒頭の「この小説大丈夫かな?」は「読者VS作者」に発展するんじゃないだろうかという不安だった。

 

観察者の主人公が意識高い系の学生を心の中で見下して見ていて

気の置けない友達と「価値観」を共有する序盤から中盤の展開。

 

だけど中盤から風向きが変わり始める。

 

結論から言うと主人公=観察者は内定が取れず、意識高い系も内定が取れなかった。

そして「観察者VS意識高い系」のバトルが幕を開ける。

 

何故か。

そう何故か。

バトルは意識高い系が勝った(ように見える)のがちょっと面白いところ。

 

けど意識高い系の攻撃によって主人公は「何者にもなれていない自分」を自覚してほんの少し成長する。

そんな物語だった。

 

この物語についての感想を述べる前に一つのブログを紹介しておこう。

 

ichinei.hateblo.jp

素直で率直なブログ。

他の人とは違う特別な人間だと自分が思いたい人間はどこにでもいる。

 

そしてブログの筆者のように「自分が特別でないことに絶望」してしまうのだ。

 

ここの問題点は「比較」にある。

自分と相手を比較し自分の方が勝っていたら「特別」という評価方法だ。

 

この評価方法を採用するならば、特別なのは「世界で一番」にならなければならない。

それは無理な話だろう。

 

「特別」でありたいなら自分が思う「特別」を自分に与えてあげればいい。

 

なんでか自分はこれが好きなんだよな。

なんでか自分はこれが得意なんだよな。

なんでか自分は特別なんだよな。

 

誰かに「痛々しい」と表された時、軸を相手に受け渡さなくていい。

軸を自分に置いて自分を「痛々しい」と攻撃しなくていい。

 

自分は「痛々しい」から特別なんだよな。

と思えるならこの限りではないけれど。

 

朝井リョウの「何者」を読んで思ったことは概ねこんな感じだ。

この文章は「痛々しい」だろうか。

僕は「観察者」だろうか、「意識高い系」だろうか。

僕はどれでもいいと思っている。

 

【雑記】落ち込んでいる

上半期が終わって、評価面談があった。

僕にはこの上半期頑張った自覚がある。

 

そして、面談後、僕は落ち込んでいる。

 

と聞くと何を思うだろうか?

 

「思ったほどの評価を得られなかったんでしょう」

「自己評価より他者評価の方が劣るに決まっている」

 

なんとなくだけどこんな感じだろうか・・・?

 

僕は落ち込んでいる、昇進させてもらえることが決まったのにも関わらず。

 

いや、昇進は嬉しい、仕事で評価してもらえるのは嬉しい。

 

だけど、僕が本当に欲しかった評価とは何だっただろう。

 

答えは明白だ。

 

「誰かに認めて欲しい」からだ。

いや誰かではなく「ある人に認めて欲しい」からだ。

 

そう思っていたのに。

ある人に少なからず評価をしてもらって昇進させてもらえることになっても

僕の願いは少しも達成できていないことに気付く。

 

本当の僕の願いは「ある人に認めて欲しい」訳ではなく。

ただ「ある人と仲良くなりたい」だけだったことに。

 

僕は気付いているのに、それが出来ないから

躍起になって成果を求めて

そして本当の願いの結果は得られていない。

 

昇進は嬉しい。

友達がいない訳ではない。

恋人がいない訳ではない。

お金は・・・あんまり無いけど貪欲に欲していない。

相談出来る仲間もいる。

家族仲だってそれなりに良好だ。

 

それなのにここまで落ち込むものかと。

何をそんなに落ち込むことがあるのかと。

 

分かっているのに、感情に振り回されている。

 

 

 

 

からっぽの王冠

自分で言うのもなんだけど自分は人望がある方じゃない。

 

いや厳密に言えばあると言えるけど、それは人望じゃなくて別の人間として尊敬されることが多い。

平たく言うと「自分はやりたくないけどあの人は凄いと思う」というと少しは伝わるだろうか。

 

人は共感を得られる人間に好意を抱く。

それは僕にも流れているルールだけれど、唯一違うのは共感を得られない人間ほど面白いという僕の作り出したルールだ。

 

もう一度言う「人は共感を得られない人間に好意を抱きづらい」

だから僕は人望がある方じゃない。

 

さて本題に入ろう。

今日は会社の半期集会だった。

 

まぁ自慢しとくが僕は仕事が出来る方だ。

ここでいう仕事とは「専門スキル」を除くもの。

誰にでも出来ることを2、3倍の速度でこなせる、自分からしてみたら器用貧乏の典型だなと思うしかない凡庸さも。

スピードが出せない人間からは仕事が出来ると見なされる。

 

脱線した。

半期集会、所謂全社員が集まる飲み会。

催しものにMVP投票というものがある。

 

また脱線、僕はMVP投票が大嫌いだ。

どこの馬の骨だか分からない匿名表によって半期の自分がジャッジされる。

百害あって一利あるかないかといったMVPに価値があるとは思わない。

そもそもMVP=人気投票といった側面でしかないのも馬鹿馬鹿しいの一言だ。

 

僕は飲み会が嫌いだ。

気の合う友人との飲み会は良い。

どうでもいい連中と酒を酌み交わす時間が惜しい。

MVP投票、飲み会、僕はいつも欠席したい誘惑に駆られている。

 

いい加減本題に移ろう・・・

まぁ僕は仕事が出来るし?正直いってMVP票が何票集まるか気が気がじゃなかった。

というのも一位になればコメントして写真撮影を迫られるし、一票も入ってなかったら流石の厚顔無恥な僕も凹む。

 

ってな訳で行きも帰りも地獄な道中。

さっさと終われ、と心で毒づきながらMVP発表の票が投じられていく。

 

結果・・・

残り3票となった段階で僕は1位タイの同率が4名いる中の一人だった。

はぁ~まぁ僕は仕事出来るし確かに今期は頑張ったが。

正直自分が最高なのは自分で認めることであって、どこの馬の骨に選ばれても全く嬉しくないし1位にはなりたくなかった。

 

とそんな僕の願いを叶えてくれたお陰か。

僕は4位だった。

そして1~3位の人がコメントをして盛り上がってMVP投票が終わった。

 

僕はほっとした・・・のと同時に心の奥底には悔しさが沈殿していることに気付く。

その悔しさの割合が殆ど無いことに僕は自分自身が嫌になった。

 

普通だったら勝ちたいと思うし、票が入ったら嬉しいはずだ。

今までの僕だったらそう思ってたし、そうありたいと願っていたはずだけど。

今の僕はただただ前に出たくないという願いを叶える思考に陥っている。

 

ダメだなこれじゃあ。

僕は帰り道を歩きながら考えた。

 

僕は勝ちたいと願わなかったから、世界は勝ちたくない願いを叶えてくれている。

 

それじゃあダメだ。

 

忘年会はMVPを取ってみようか。

MVPの王冠を被っている自分をイメージしてみようか。

人々に応援される自分を夢見てみようか。

 

それか。

仕事を辞めてみようか。