明日から始めよう

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【仕事】2ヶ月で変わること

今から2ヶ月前のある日、

僕は上司に「辞めようかと思っていてその話になります」と切り出した。

 

仕事を辞めることに僕は大した感慨を持っていない。

そもそも僕はお酒も好きじゃないしギャンブルもやらない。

アレが欲しい、コレが欲しいなどもほぼない。

お金があれば使うが、無ければ使わない。

 

そんな訳で僕は「辞める」のハードルが物凄く低い。

生きていくだけのお金を稼ぐことなんて、手段を選ばなければそんなに難しくない、それが僕の考えだ。

とはいっても、僕は明日辞めます!などと不義理を働く訳でもなく

辞めるタイミングの話をしようとしていた。

別に2ヶ月後でも良いとすら思っていて。

 

僕は上司と向かい合って話をした。

 

詳細は割愛するが・・・

結論から言って僕は引きとめられた。

引きとめられた上で、昇進に繋がる話を持ち掛けられた。

実は順序が逆で、昇進話を持ちかけようとしたら、僕が辞めようとして驚いたという話だった。

 

僕は言いたいことは遠慮なく言った。

一応断っていくと、僕は社会経験が今の会社しかない。

つまり会社に入った時点で「自分=底辺」だという意識があった。

 

それなのに、僕は「自分=底辺」の自分が会社に対して、というより社会に対して失望、もしくは諦観のようなものを抱きながら仕事をしていたように感じる。

 

僕は「なるほどね、みんな死んだ顔をして仕事をする訳だ」と。

作業効率を阻害するあらゆるものをそのままに放置して日々行われる業務。

 

「でもまぁ世の中なんてそんなもんなんでしょう?」

僕は疑ってなかった。

それは窓から見える人々のつまらなさそうな顔と一致した世界だったから。

 

だから僕はつまらなそうな人達のことを考えなかった、

常に面白そうなものがないかと自分の世界に籠もった。

 

だけどそんな僕にも変化の風が吹いて。

今自分は変化を起こそうとする側に回っている。

 

話を戻そう。

僕は上司に「話を受けても自分の中の辞める気持ちが無くなることはないと思います」

と正直に伝えた。

 

愚かで、浅はかな若者の言葉。

少し考えればそんなことを言うメリットがないことが分かる。

ただ「やります!やらせてください!!」といった方がいいに決まってる。

 

けど僕はもう分かってしまった。

要領良く、ご機嫌を伺って立ち振る舞う行動、

嘘を付いてゴマをすったり、社交辞令で人と接すること。

そういった当たり前の嘘が、やがてその人自身を苦しめることに。

 

僕は「2、3ヶ月後に不意に辞めることもあるかもしれない」と続けた。

その期間はただの思いつきだったが、今振り返ると

僕は「2、3ヶ月後に何の結果も得られていないようなら辞めます」と言いたかったんだと思っている。

 

「とはいえやるからには、手段を選ばず全力でやり遂げます」と告げたように。

全力を出して2,3ヶ月で何の成果も得られていない訳がない。

そう思っていたんだろう。

 

僕のお陰だけでないことは確かだけど、確かにこの2ヶ月で何かが変わり始めている。

 

 

 

 

 

 

新月の願い事

今は新月です。

新月って満月に比べて存在感薄いっすよね。

無いものをあるようには意識出来ないってことっすかね。

 

さて新月は願い事をするのに最適という話をご存知でしょうか。

月が願いごとを叶えてくれる訳ねーだろwwwワロッシュwwwwと思うのが大半かなぁ。

 

なんで叶わないように思っているのか?

実際に叶った経験がないからですね。

願い事にはタイムラグがあるんですね。

 

例えば今日の新月に願ったことが半年後に叶っていたとして。

その叶ったことを新月のお陰と認識出来るか?

まぁ出来ませんわな。

人は常にまだ来てない明日のことを考えたり、どうでもいい悩みをどうでも良くないように悩むいきもの。

 

だがしかし。

仮に新月の願い事が叶う、という前提だったらどうでしょう。

あら不思議、願いが叶ったのは新月のお陰なのねん♪と臆面も無く口にするスイーツ脳()の出来上がり。

 

さてはてこのカラクリは如何なるものか。

何故「信じるものは救われる」のか分かるでしょうか?

まぁ「信じてる」からですわな。

 

神様は決して人を見捨てない、と信じたとして。

不幸な出来事が起きたとする。

「神なんていない!」と絶望するのは何故でしょう。

信仰を捨てたからですわな。

 

さて信仰を捨てる意味があったのでしょうか?

神様は見捨てないのであれば、不幸な出来事にも意味があるのではないでしょうか。

何の為に信仰を捨てるのか。

自分の為ですわな。

 

自分の為に信仰を捨て、神はいないと定義して生きていくことを選んだだけに過ぎない。

さてはてその選択に意味はあったのか。

それはその人にしか分かりませんが、何の為に信じることにしたのか。

信じることを捨てる意味があるのか。

その可能性を捨てるものに救いなんてある訳もないんですわな。

 

奇跡なんて起きないよ。と信じる意味は果たしてあるのか。

誰でも奇跡は起きた方が嬉しいのに、信じることを辞めたのは何故なんでしょう。

「奇跡なんて起きない」ことで自分が起こした出来事を正当化して自分を守ってるんですわな。

「俺は間違ってない」ことを証明するために信じることを辞めたんですから、苦労がこの先待ってるのは当然ですわ。

「自分がゴミカスだったから奇跡が起きなかったんだ」なーんて認められませんわね。

 

そうやって苦労仲間を増やしていくことで、自分を守るんですかね。

そーしてそういう人が多数派になってしまうと・・・

居酒屋でクダを巻くような、時間の浪費が一般的になってしまうという。

 

おぉ悲劇・・・いや喜劇かな。

そういう人はそういう人なりの喜劇を演じているのだと思えば

私は傍観者として喜劇を見届ける次第です。

 

悲劇を訴えても同情はしませんけど、興味は持ちますよ。

自分と違う世界を生きる人間すべてに花束を。

 

 

 

 

救いは創造するもの

誰であっても自分の論理からは逃れられないらしい。

 

例えばGW一つとっても。

GW最終日は多くの人にとって憂鬱だけど

自分にとっては当てはまらなかったりする。

 

負のイメージを持つ理由がない限り

自分が負のイメージを必要とすることはないだろう。

 

自分を不幸だと思っている人は不幸を創造しているし

自分を幸運だと思っている人は幸運を創造している。

 

それは物事の捉え方というよりは

一種の覚悟と思っていい。

 

覚悟を変えることを人は成長と呼んだりもするけど

それもまた誰かの主観に過ぎなくて

誰かに認めて貰えないことすら

誰かにとっての救いに成り得る。

 

であるならば

救いは自分で生み出すしかない。

 

人の自由意志は常に試されている。

 

虚無感を創造する理由は

www.megamouth.info

「今日はGW最終日です。」

Q.この言葉を聞いて感じたことを答えて下さい。

 

上記の問いの答えは厳密に言うと、無い。

けれども「共通するイメージ」を想像することは出来る。

曰く「GWなのに何もしなかった」「明日から仕事に行きたくない」etc

 

転じて「共有が難しいであろうイメージ」も想像することが出来る。

曰く「やっとGWが終わった」「明日から仕事が出来る」etc

 

答えが無い以上、正解を決めるのは誰になるのか。

巷の声(所謂多数派)を基準にするなら前者かもしれないし

自分の声(ここでは所謂少数派と定義)を基準にするなら後者かもしれない。

 

上に挙げたブログに出てくる「虚無感」についても同じことを言える。

大多数が持つイメージを優先し「虚無感」にフォーカスをするか

自身の持つ少数派のイメージを優先し「虚無感」を打ち消すか。

 

ブログを見て思ったことは「虚無感」を何らかの目的を持って創造している、ということだ。

読み進めた結果、その目的とは筆者にとってのアイデンティティを守るためだと断言しても差支えないだろう。

 

筆者の言葉を引用すると

20年に渡る鍛錬と経験の末、私生活をなげうって、家庭を持つことも諦めて、技術を磨き続けた人間に待っているのはこういう末路である。

こういう末路が待っていなければ私生活を投げ打って、家庭を持つことも諦めたことへの妥当な意味付けを与えることは出来ない。

故に末路を必要としている。

技術を磨き続けた人間に待っているのはこういう末路で無ければならない。

 

こうも続く

例え、心根が優しく、人格的に出来ていて、論理的で、理不尽を嫌う、真っ当な人間、例えば、私でも、病にかかれば、多少はおかしくなるものだ。

多少おかしくなっているのは病にかかっているから、が筆者の論理となっている。

故に鬱病でなければ、筆者の論理は破綻してしまう。

よって鬱病は自身の維持に必要なファクターになる。

 

結びにて

あまり関係の話をするが、「うつ病の人間に3億あげたら全員治るって結局甘えじゃん」みたいな言説が定期に繰り返されるが、それは3億円がうつ病と貧乏の合併症の半分を直し、かつ、働かなくていいという環境がうつ病の根源的原因を取り除いた結果、治るのであって、素人でも機序のわかる話を自分でしておいて何故結論が「うつが結局甘え」になるのか、私には理解できない。

理解してしまえば論理は破綻してしまう。

故に理解できない、と筆者は結論付けるしかなくなる。

理解するためには必要としていた鬱病を捨てなければならない。

 

上記を踏まえたうえで

この連作では、虚無を描いてきたつもりだ。

なので、こうした自分の虚無を語って締めとしたい。本当は、上で語ったことを小説風にしようとしたが、救いを入れたくなってしまったのでやめた。
救いなどねえに決まってんだろ。甘えんな。

これもまた当然の話だ。

結論を言うと「救いがあっては困る」から。

故に虚無を演出していると言っていい。

 

そして問題は上記を「自覚しているのか?」という点になるが

私見として十中八九筆者は自覚していると思っている。

 

故にこの問題は解決しないだろう。

外部から筆者の論理を打ち砕く救いの横槍が入らない限りは。

 

 

ネットの海を見ている

直接顔を合わせることのない人を今日も見ていた。

パソコンが普及し、スマートフォンが普及し、

引き篭もっていても世界中の人を見ることが出来る今の世の中。

 

顔は見えなくても文章を見ている。

虚飾に塗れた文章、心の篭った文章、どちらも見ている。

 

この文章を見ている人がいるだろうか?

その人はどんな顔をしてどんなことを思いながら見ているのだろう?

 

ネットの海を見ることは、

僕にとってその人が生きている証を見ていることに等しい。

 

ネットの海は更新を続けるかぎり広がり続けて

海を見ている人がいるかぎり

その人は今も生き続けている。

 

 

 

 

黄金の夜明け

GW9連休の真っ只中なのに、GW明けの仕事の方が楽しみなのであった。

 

~完~

 

とまぁ、これだけじゃなんなので。

 

GWに入って少々鬱々してます。

原因①金曜の夜にオールをして生活リズムが乱れた

原因②ネット不通

原因③GWの予定を立てていなかった

 

この内原因②は昨日解決したんでありがたやーって気分ですけど

一度崩れた生活リズムは中々取り戻せないっすね。

 

これじゃあ折角の連休が何の意味もないどころか給料でない上に体調も悪くなって泣きっ面に蜂です。

そういう訳でこの場を借りて「GWにやることリスト」を記しておこうかと。

書いておけばやるっしょ!

 

▼GWやることリスト

①部屋の掃除

②家具(イス、ソファー、本棚、カーテン、布団)を買って模様替え

③借りてるニーアオートマタをいい加減やる

④ワイヤレスイヤホンを買う

⑤借りてる本を読む

⑥暮らしに役立つ品を揃える

 

こんなもんかな。

①をまずやらないと始まらない。

ってな訳で今日は掃除デーに決定!

 

掃除する為にも今から寝て英気を養います。

オヤスミー!

 

 

ある男の人生を変えた3.11、その後の人生

これは僕の話ではないのだけれど・・・

ある一人の男の人生を変えた出来事を僕が語ってみよう。

 

まずは僕の話から。

 

<序章 僕>

僕は3.11の日に家にいて

地震が起きたことをテレビで知った。

 

東北で大惨事を引き起こした未曾有の災害。

それを僕はテレビ越しに眺めている。

外に出ても特に何も変わらない日常が続いていたことを良く覚えている。

 

初めは大地震が起きたらしい、建物が倒壊したらしい。

そんなぼんやりとした情報だった。

 

地震による大災害、その引き金の多くは津波の被害だろう。

遅れてきた津波は東北を覆いつくしてしまった。

 

僕はその映像を中継で見ていて

「非現実とはこういうことか」と対岸の火事を見ている気分だった。

 

それから・・・

テレビ局は報道一色、番組は自粛。

魔法の言葉が~CMが何度も何度も流れる。

 

東日本大震災は周辺の人のみならず、日本の人々全てを巻き込んで

あらゆる出来事の引き金になった。

 

<2章 ある男>

断っておくけれど

これは僕の話ではない。

東京に住んでいた、ある男の話だ。

 

ある男は東京の一流企業に勤めていて、充実した日々を送っていた。

交際していた女性との間に子供を授かり結婚、

このまま企業に勤め続けるんだろう、そう思っていた。

3.11に自らの運命が変わるとも知らず。

 

3.11に東日本大震災が発生。

東京も地震の被害に晒された。

人口の多い東京、直接的な被害は大きく無くとも

ビルは揺れ、帰宅は困難になり、そして何より。

人々の心を蝕んだ。

 

大震災、津波原発被害、報道規制、自粛。

ひとつひとつの出来事が積み重なって、

離れた東京の地に住んでいる男の家庭にも影響を及ぼす。

 

「将来子供に何かあったらどうするの?」

そんな問いを連日連日、妻に言われた男は子供の為に生きることを決意した。

それまでの人生、自分のやりたいように、好き勝手に生きてきた人生にサヨナラを告げる決意を。

 

<3章 僕>

何の被害も受けていない、僕の心も平穏とはいかなかった。

日本はどうなってしまうのか・・・漠然とした不安と。

何も出来ない傍観者の自分への無力感と。

 

今振り返れば・・・

あの地震は多くの自分以外の人の人生を変えてしまったと思っていたけれど

きっと、僕の人生も地震によって変わってしまったんだろうと思う。

 

あの時に感じた自分への無力感、偽善への抵抗。

あの時、僕は働いていなかったから。

僕は募金を行わなかった。

 

親のお金で募金をしてどうするんだ。

募金をするエゴを満たすために他人のお金を消費する。

そんなエゴを僕は許さなかった。

 

でも、別にそれはそれで良かったのだと今思う。

偽善というエゴ、救われる人と満足する自分。

被災地へ出かけるタレント、何が善で何が偽善なのか。

それを決めるのは常に自分だ。

 

何がやりたいか、何が出来るか。

僕は真剣に考え続けた。

 

<4章 ある男>

決意をした男の行動は早かった。

仕事の引継ぎを行い、次の仕事の見通しを立て、震災被害者の受け入れ居住地への移転を申請した。

 

しかし・・・

申請は通らなかった。

震災被害者の希望はそれほど多かったのだろう。

 

仕方なく、男は別の受け入れ場所を捜す。

探し出した場所は恐らく男の希望からは離れていたが

男はその地に移り住むことを決意する。

 

そして妻と子供、先に受け入れ場所に送り、自身は東京に残り手続きを終わらせた。

 

そして全てを終えた男は東京を離れた。

何の当てもない、未開の土地へ。

 

<5章 僕>

震災から時間が過ぎてテレビで見る日常が戻ってくる。

僕の心も掻き乱されることは無くなったけれど

きっと、僕はあの日から自分を責め続けていた。

 

何の役にも立たない自分、何もしない自分。

そんな自分に嫌気が差して仕方なかった。

 

僕は物語を作りたかった。

誰かを救える物語。

かつての僕を救ってくれた物語達に敬意を払いつつも

僕こそが、僕の求める最高の物語を作りたいと、そう願っていた。

 

2012年11月29日、震災から暫く経って・・・

僕の人生は大きく変わる。

 

<6章 ある男>

未開の地へと降り立った男は、家族を養うために仕事を探す。

しかし、辺鄙な地に仕事はなく。

男は通勤時間のかかる繁華街で仕事を探すことになる。

 

未経験の販売の仕事を得た男は、

全国で売り上げ1位を目指すチームに何故か加わることになる。

 

全国有数の売り上げをを叩き出す周囲と

努力をしてもチーム最下位の男。

 

売り上げを伸ばすため、ノルマを果たすために

話術を鍛えた、物を売る辛さを学んだ。

それでも物を売るための悪に徹しきれない自分がいて・・・

 

連日詰められる日々、

店内BGMがトラウマになるほど男の精神は追い詰められる。

そうして、男は販売の仕事を辞めた。

 

<7章 僕>

2012年11月29日に、あるゲームが発売された。

僕はそのゲームを発売日に買った。

まさかその選択で人生が変わるとも思わず。

 

僕は打ちのめされる。

完璧なロジックと、僕が求める物語性。

今の時代には出来ない、熱意と労力。

全てが僕の心を震えさせ、感動させ、そして背筋が寒くなるほどの衝撃を与えた。

 

僕は毎日眠れなくなった。

そのゲームのことを考えては思いを馳せ、ロジックの素晴らしさを称え

人物を思い、背景を想像し、改めて物語の完璧さを痛感する。

 

僕のプライドは粉々に打ち砕かれた。

僕が求める最高の物語は、僕にしか作れない。

そんな中学生が持つような、青臭い思想を打ち砕き

そして何よりも。

 

そのゲームのテーマは「明日から始めよう」だったのだ。

 

<8章 ある男>

販売の仕事を辞めた男は、新しい仕事を探していた。

 

未来で長時間働くことになる会社にも目を通したが

その時にはその会社には行かなかった。

ここで男は、その会社に行く未来もあったと回想する。

 

結果的に、男は小さなゲーム会社で働くことになる。

何故そのゲーム会社を選んだのか?

僕はまだ知らないが

恐らく小さな会社なら裁量を与えられると思っていたのだろう。

 

男は自らの手腕により、始めから頭角を現していたが・・・

周囲からは「何を考えているか分からない」と評される。

 

販売の仕事に向いていないと感じた理由、それは男が人見知りだったこと。

男が他人に興味がなく、一人が好きだったことに由来するのだろう。

 

男は業務委託で、別会社に常駐することになる。

この先何年もお世話になる、その会社で。

男は仕事をし、信頼を得、自らの力で。

 

その男は独自の地位を獲得した。

 

<9章 僕>

「明日から始めよう」

この言葉はともすれば

怠惰の言い訳とも取れる。

 

しかし僕は、この言葉を胸に刻んだ。

今思えば、それは贈り物だったのだろう。

 

プライドを粉々に打ち砕かれたことで、僕は目標を失ってしまったけれど

それでも、僕は打ち砕かれた心をもう一度拾い集めて。

 

僕はようやく小さな一歩を踏み出した。

本当に小さな、些細な勇気。

僕にとっては大きな一歩となる。

 

iamyou.hatenablog.com

僕はブログを始めた。

誰のためでもなく、自分のために。

ブログ開設から、4年と1カ月経ち。

僕はまだ目標を達成していない。

 

今思えば、やはり僕は怖かったのだ。

自分の大切なもの、失いたくないもの

プライド、誇り、しまい込んだ感情を

外に出すことを恐れていた。

 

今なら分かる。

大したことではない、と。

 

何かを恐れる心は、

何かを守る心。

 

プライドだったり、誇りだったり。

自分の実力を知りたくない、と耳を塞ぐ。

 

大震災で人が得たものは、

壊れてしまっても、命さえあれば治すことが出来る。

そんなものじゃないだろうか。

 

失われた命と、震災地を立て直そうとする心。

失ってしまうからこそ、人はまた歩きだす。

失われた命に報いる為にも。

 

失わなければ、決して気付かずに過ごしていた

当たり前の現実を、毎日続けていく努力。

 

僕は生きる努力を始めた。

 

<10章 ある男>

男は小さな会社を切り盛りする立場になった。

 

男は自分が全国でどれくらいの位置にあるか考えるほどに、

自分の能力に自信を持っている。

手を抜いていても、仕事を人の何倍もこなせる。

 

きっと、震災から時間が経ち

3.11に脆く崩れ去ってしまった日常は掌に返ってきていた。

 

<終章 僕&・・・ >

生きる努力の果てに、僕はある会社に入る。

これまでの人生全てが反転するとも知らず。

 

Beginning To Be Contined ・・・